前橋地方裁判所 昭和44年(わ)138号 判決 1969年9月25日
被告人 田中吉三
昭一三・九・一五生 会社員
主文
被告人を禁錮六月に処する。
この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。
本件公訴事実中道路交通法違反の点につき、被告人は無罪。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は自動車運転の業務に従事している者であるところ、昭和四三年一〇月九日午後五時四〇分ころ、普通貨物自動車を運転し、前橋市城東町方面から同市住吉町方面に向かい進行し、同市住吉町一丁目五番一号先交差点の直前において信号機の表示に従い一時停止した後信号機の表示が青に変つたので発進し、交差点内に進入し、これを右折しようとしたのであるが、このような場合自動車運転者としては、進路前方を注視し、その安全を確認したうえ進行し、もつて事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、被告人はこれを怠り漫然時速約一五キロメートルで右折進行した過失により、横断歩道上を右から左に歩行中の竹内エイ当七八年および村田リサ(当七〇年)を約二・三メートルに迫つて漸く発見して急制動をかけたが間に合わず、自車前部を右両名に衝突させて路上に転倒させ、よつて右竹内に対し約三箇月間の加療を要する右下腿骨骨折、左上腕打撲傷、顔面打撲擦過傷の傷害を、右村田に対し約二箇月間の加療を要する頭部打撲傷、左前腕打撲傷、左下腿骨骨折、胸部打撲傷の傷害をそれぞれ負わせたものである。
(証拠)(略)
(法令の適用)
被告人の判示所為は、被害者ごとに刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するところ、右は一個の行為で二個の罪名にふれる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として重い竹内エイに対する業務上過失傷害罪の刑に従い、所定刑中禁錮刑を選択し、その刑期の範囲内で被告人を禁錮六月に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。
(一部無罪の理由)
本件公訴事実中道路交通法違反の点は、
被告人は前記日時場所において右車両を運転中前記両名に傷害を負わせたのに、その事故発生の日時場所等法令の定める事項を直ちにもよりの警察署の警察官に報告しなかつたものである。
というのである。
そこで右報告義務違反の事実の有無について検討するに、前記各証拠を綜合すると、つぎの事実が認められる。
前記交通事故発生後被告人は直ちに運転を停止して下車してみたところ、被害者両名は被告人の車の前に膝をついていたが、間もなく立ち上り、歩道上に歩いて行つた。そこで被告人は自動車を道端に寄せ、右両名に医者へ行くため乗車するようにすすめ、両名のうち竹内エイはこれに応じたが、村田リサは自力で帰る旨告げて断つたため、右竹内を乗せて一旦同人方へ立ち寄つたところ、右村田が来合わせたので、両名を乗せて関口病院へ連れて行き手当を受けさせた。被告人の自動車には本件事故により何らの異常を生じなかつたし、ほかに物損はない。
而して被告人の当公判廷における供述および交通事故発生届受理書によれば、被告人が本件事故を警察官に届出たのは三日後の一〇月一二日であることが認められる。
ところで道路交通法七二条一項後段は運転者が警察官に事故報告をなすべき時期について「直ちに」と規定しているが、これは同条同項前段の規定に照らし、「事故後直ちに又は事故に引き続く負傷者救護等の必要措置をとつた後直ちに」という意味に解すべきであるから、事故後被害者の救護等の必要措置に要した時間内にあつては運転者が報告をしなかつたとしても右報告義務に違反したものということはできない。そして右救護等の必要措置を終えた段階において既に交通秩序が完全に回復された場合なお運転者に報告義務を認めるべきかについてはこれを否定すべきものと考える。けだし、右報告義務が課せられる所以のものは、警察官をして速かに交通事故の発生を知り、被害者の救護や道路における危険の防止等交通秩序の回復につき適切な措置をとらしめ、もつて被害の増大の防止と交通の安全を図るにあり、すでに負傷者が救護され、かつ交通秩序が完全に回復し、警察官関与の必要性が失われた後は、もはや報告義務は消滅するものと解すべきだからである。
そして本件においては被告人が事故後直ちに被害者両名を病院へつれて行つた措置は負傷者救護の必要措置というべく、しかも前認定のとおりその時点において交通秩序も完全に回復していたものと考えられるのであるから、すでに被告人の報告義務は消滅したものということができ、その後直ちに報告をしなかつたからといつて報告義務違反の罪を構成するものではないといわなければならない。
そこでこの点につき被告人に対し刑事訴訟法三三六条前段により無罪の言渡をする。